2012年3月30日金曜日

常照皇寺屋根補修完了

方丈の茅葺屋根が見違えるようになりました。
光厳さんの650年遠忌を迎える準備が整いつつあります。


裏も補修されました。






安土を歩く

JRは事故の為ダイヤ乱れる。
野洲からタクシー利用で桑実寺へ。
麦畑にヒバリを見、梅の木のそばにメジロを見つつ山門。
テングチョウ、モンキチョウを見やりながら400段の石段を上りつめれば本堂。
ルリタテハが舞っている。ショウジョバカマも開花。





観音寺跡を経て観音正寺。ここで昼食後、繖(きぬがさ)山の三角点からの下り道より野焼きを眺める。


安土城跡が今日の最後の訪問場所
ここでもルリタテハが見られた。
石段を上るだけでも骨なのにこんな高いところにこんな大きな石をと感心。
仏足石までもが石垣の資材。「権力は暴力」の感を強くした。



2012年3月29日木曜日

再び高知城

1昨年冬に訪れた。
花を目当てに列車を待つ1時間の間にタクシー移動で駆け足。

お城の塀のカーブを教えてもらった。


此処だけとガイド氏



児島までの車窓から。



夕食に途中下車。
岡山駅の噴水。


2012年3月22日木曜日

史跡高松城跡

松平氏の居城「高松城」。

 月見櫓の初層は千鳥破風、二層は唐破風。
各層の白壁に上下2本の黒塗り長押を巡らしている。


内苑御庭への飛び石は枯山水の庭に通じていた。
披雲閣の大書院142畳敷。
ガラス越しに蘇鉄の植え込みがうかがえる。

石垣の工法はいろいろ用いられている様子。
桜御門跡の石垣が赤いのは昭和20年の空襲で焼けた跡。


駅前広場の福朗さんを横目に帰途に着いた。


栗林公園_うめ満開

1時間ほどの散策。
高松城は松平氏の居城。栗林公園は松平氏の下屋敷。
北門からすぐに茶園の背景は百花園跡の梅の花。




その樹形が独特の黒松
手入れの行き届いた箱松が列を成している


こけら葺きの掬月亭。
屋根が軽いことで柱を細くできる。見通しを妨げない工夫。
四方正面とのこと。


苔の色の鮮やかなこと。水中です。


芙蓉峰から一望



土産のお菓子は「かねすえ」の「大禹謨」
http://www.kanesue.net/image/daiubo_topimg.jpg
その名の由来が気になる。以下かねすえのHPに依る
「溜池の新造、改築、河川の改修等に尽力された、香川の恩人・西嶋八兵衛。香東川の改修の時、中国の夏国の大聖禹王の謨にあやかり「大禹謨」と石に刻み、川中に祀りました。この恩人に敬意をはらい、新しいお菓子を作りました。」

大禹謨(だいうぼ)についてはこちらが詳しい。
「大禹謨」と刻まれた石は栗林公園にあるそうだが昨日は見落とした。

栗林公園と大禹謨はここにも詳しい






2012年3月17日土曜日

大野裕先生と

滋賀CBTセンターからの案内で参加したセミナー。
講師の大野先生と収まることができた。
井上先生とは集合写真を撮ってもらうことができた。


2012年3月15日木曜日

Eパートナーの社窓から

3月5日から新事務所に移転。
今日は地方のカウンセラーにとっては初めてのオフィス。
広くなっただけでなく全国から集まったカウンセラーの数の多さに胸が熱くなった。
3年半で20人は超えたと思われる。
「ユニークさとNO1のEAP」を合言葉に思いを新たにした。
ビジネスパーソンの支援に一層努力したい。


2012年3月13日火曜日

徳島城

徳島城の石垣




http://explorer.road.jp/stones/shikoku/tokushima_catsle.html
徳島城の石垣というと、緑色片岩を用いた「緑色の石垣」として知られている。偏平に割れ、城郭のような大規模な石垣を築くのに必ずしも適しているとは言えない片岩を使った石垣は、花崗岩を自在に切り割って組み上げた城郭石垣とはまた異なった趣を醸し出している。
落合集落の石垣を思い出した
http://kankodori.net/japaneseculture/buildings/060/index.html
急斜面に存在する落合集落に平らな土地は皆無に等しく、人々は斜面に石垣を築いてわずかな土地を作り出し、そこに家屋や耕作地を築いて生きてきた。これら家屋の土台となる石垣は、祖谷の谷間で採れる緑色片岩が使われている。この石は平たく割れる変成岩であり、若干青みがかっているため青石とも呼ばれている。主に徳島県や和歌山県で産出されるもので、徳島城や和歌山城の石垣にも用いられている。

門には太いケヤキが用いられていた。




往復バスを利用。室津のSAで小休止
淡い色の輝く海




帰りの車窓から
淡路島緑地区の手前で右の方に朱塗りの大鳥居が見えた???
帰宅後検索しておのころ島神社と知る。日本3大鳥居の一つとのこと。
平安神宮、厳島神社とここ。熊野本宮は黒だから加えられていないのだろうか。

2012年3月12日月曜日

小牧神明社

小牧神明社の連理木
http://blog.goo.ne.jp/tkoszkmizuho/e/850de21a85d2bfa63870a8804f4719b4

樹種はクスノキ






GPSを持ってウォーキング・ハイキングを楽しんでいられるサイトに出くわした。
真似したい。
http://www.gctv.ne.jp/~nkmr3030/
http://www.gps-walk.com/


2012年3月3日土曜日

同志社周辺(北朝縁寺院)

新町校舎でセミナー受講。
辺りを散策。

まずは【大聖寺】
http://kamigyo.doshisha.ac.jp/user/sight_seeing_detail/52
開基は光厳天皇妃の無相定円禅尼で、貞治7年(1368)に光厳天皇の法事を京都天龍寺で行ったとき、春屋妙葩について落飾した。

http://everkyoto.web.fc2.com/report458.html
尼僧無相定円尼の住まいした室町御所岡松殿を禅尼の法名大聖殿無相定円尼に因み大聖寺とした。
尼僧無相定円尼は日野資名の娘で宣子という。
光厳天皇の妃。光厳天皇没後の4年の法事の際春屋妙葩により落飾。義満は岡松殿に宣子を迎えた。

無相定円禅尼は光厳天皇の妃か後光厳天皇の妃か迷う
http://fishaqua.gozaru.jp/kyoto_daisyouji.htm
無相定円禅尼は後光厳院(天皇)妃と記されている。
http://ameblo.jp/rrerr/entry-10639163391.html
宣子も北朝天皇に女官として仕え、特に北朝の後光厳天皇のもとで正二位典侍となって政治に介入。




【光照院】
http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/54526622.html
光照院は、山号を仏日山という浄土宗知恩院派の門跡尼寺で、「常盤(ときわ)御所」ともいわれています。
「持明院御所」跡地であり、持明院御所を拠点にした持明院統(第八十九代後深草天皇の系統)と、大覚寺を拠点とした大覚寺統(第九十代亀山天皇の系統)との対立が、南北朝の分裂をもたらした事は良く知られています。



 新町校舎の東側の【三時知恩寺】
http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/53930170.html
創建は、室町時代の応永年間(1394~1428)、北朝第4代後光厳天皇の皇女・見子(俔子けんし)内親王(入江内親王)が、一条西洞院にあった北朝第3代崇光天皇の御所「入江殿」を賜ったのが始まりと伝わる。